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漫画家・モクモクれんさんのポストに共感した話

  • 16 時間前
  • 読了時間: 6分

※この記事の内容はあくまで自分個人の感想および思想であり、モクモクれんさんの思想を断定するものではありません。




「モクモクれん」さんは「光が死んだ夏」という漫画を連載している作者さんです(※リンク先は公式サイトです。露骨ではありませんがホラー表現があるため、少しでも苦手な方は観覧注意かも)


「光が死んだ夏」のストーリーは以下のような感じ。



ある日、田舎村に住む少年「よしき」は、幼なじみの「光」が「ナニか(ヒカル)」と入れ替わっていることに気がつく。


本物の光は半年前に行方不明になっており、そのときに死亡して今の「ヒカル」と入れ替わっていた。


よしきは「どうせ光はもうおらんのや…それやったらニセモンでもそばにいてほしい…」と、ヒカルと共に日常を送ることにする。


その頃、村では次々と怪異が起こり……



……といったところ。


「よしき」は「光」に恋愛感情を抱いていましたが、同性を好きになると周囲から奇異の目で見られることを知っていたため、それを隠して生活していました。


そういった二人の関係からこの漫画はしばしばBLとして認識されたり扱われたりすることがあります。ですが、作者のモクモクれんさんはこの漫画のジャンルについて以下のように語っています。


(以下、『』内はモクモクれんさんがBlueskyに投稿したポストの引用です)




『光が死んだ夏のジャンルについては読んだ人が自由に考えるものという意見は変わっていないですが、恋愛や性の話から取り残された人たちにも寄り添う話であるべきだと思っているので私は「青春ホラー」と説明してます。

属性を問わず様々な人に共通する「"普通"になれない、居場所がない恐怖」が肝だと思ってます。』



『「光が死んだ夏」を恋愛物語ではないと言う理由の一つとして、「恋愛感情こそが最も重く深い感情で、恋愛が成就することだけが唯一の幸せである」という前提が物語の中に無いからというのもあります。


それを踏まえた上でなら広義のラブストーリーとして捉えることも可能だと思っています。』



『幸せになる=二人のキャラクターがお互いに恋に落ちて恋人になる


恋が実らなかった=永遠に不幸


このような前提で私に質問してくる方は多いですが、必ずしも全ての物語がこの前提で動いているわけではないと思います。』



『ちなみに、恋愛感情も友情も描いているつもりですが、恋愛感情だけことさらに特別なものとして描いてるつもりもないです。

一世一代の大恋愛でも、性別を超えるほどの運命的な恋でも、一生忘れられない永遠の純愛でもありません。

他の感情と同じくらい大切な普通の感情です。』



(引用おわり)



自分はしばしばSNSで「カップリング界隈の『とにかく推しカプを結婚させたがるノリ』が合わない」とぼやいているのですが、その理由が「愛情の終着点=結婚」「幸福=結婚」といった価値観を嫌っているためです。


こと恋愛関係に関しては、『赤毛のアン』のセリフとして出てくる「結婚式で終わる物語よりも、お葬式で終わる物語のほうがロマンチックだわ」というセリフのほうに共感が持てるのですよね。


恋愛関係であったのだとしてもそうでなかったのだとしても、年老いて命尽きるまで共にあったという点にロマンを感じるわけです(「離れていても心は繋がっている」という愛情も素敵だと思いますが)


誤解を生まないように追記しておきますと、結婚という制度自体を嫌っているわけではありません。ただ、それはあくまで選択肢のひとつであり、誰しもがそれを望み尊ぶわけではないという認識です。



それに加えて、BLに二次創作に多い「男性同士のペアに男女の役割をあてがう」という暗黙の了解を嫌っているというのもあります。


例えば、カップリングが結婚する二次創作において「受けを『妻』『嫁』として扱う」「女装趣味のない受けに当たり前のようにウェディングドレスを着せる」あたりですね。


(パワプロの進に関しては自分もしばしば「お嫁さん」と呼んだりしますが、これは公式でそういうネタにされているキャラだからであり、受けとして好んでいるからという理由ではありません)


それらの複合的な理由で「とにかく推しカプを結婚させたがるノリ」に対して苦手意識を持つようになったのだと思います。



一部に人気のある「オメガバース」も好きになれないのですが、おそらくは「『運命の番』『Ωは男性でも妊娠できる』という『特定の相手と恋愛関係になり、セックスをして子供を作ることが幸福』という概念」を世界観にまで落とし込んでいる部分が自分の好みと合致しないのだろうと思います。


加えて「α、Ωという概念によって攻め・受けが生まれながらに決まっている」「『ヒート』という概念によって『受けが不特定多数の同性に性的な目で見られる』という状況を一般的なものにする」「『発情期』という概念によって攻めの性欲や独占欲の高さを当然のものとする」といった「BLで好まれがちな傾向を世界観にまで落とし込んでいる部分」も好みではないと感じています。


(話は少しずれますが、BL二次創作に多い「攻めが性欲しかないキャラのように描かれる」「攻めがやたら独占欲の強い男として描かれる」ってのもすごく嫌なんですよね)



また、自分はしばしば「カップリングとして描いているキャラ同士が恋愛的に結ばれないまま終わる話」を書くことがあるのですが、これは「そういった愛情の形もある」という認識から描いているのであって、「結ばれなかった、ああ悲しいな」という内容のつもりではありません。


(あくまで自分の意見ですが、モクモクれんさんが自作を「BL」と断定されるのを嫌がっている節があるのは、「男性から男性への恋愛感情」を否定しているわけではなく、「BL」というジャンルに「二人が恋愛して結ばれることを唯一の幸福として描く話」という要素が内包されているからなのかなと思っています)



『光が死んだ夏』では、主要人物の一人である『タナカ』が「息子に普通の生活をさせてやれなかった」と後悔している自分の母親(暮林/くればやし)に対して以下のように語りかけるシーンがあります。


「俺は母さんが思ってるほど不幸じゃないよ」

「普通ってなんなんだ。普通の生活、普通に生きるって、それが幸せな保証がどこにある」


霊感の強い暮林は自分自身が(本人の価値基準に基づいた)「普通」ではなく、それによって苦難の人生を歩んできたため、息子には「普通の人生」を歩んでほしいと願っていました。


伴侶となる相手と出会って、結婚して、子供を産み育てたことをを暮林さんは「彼(伴侶)といるときだけ自分は『普通』になれた」「それが幸せだった」と語っており、おそらくは息子も「普通であること」を望んでいると思っていたのでしょう。


彼ら親子の事情はもっと複雑なものなのですが、この「一般的に『普通』で『幸福』とされているものが万人にとってそうであるわけではない」という点は、前述した「恋愛して結婚することだけが幸福ではない」という点にもあてはまると感じます。



なんだか「恋愛もの」の否定と受け取られかねない内容になりましが、自分はBL二次創作をしているわけですから恋愛もの自体はそれなりに好きではありますよ(恋愛ドラマは観ませんが)


『光が死んだ夏』も別に恋愛感情を否定するような内容ではなく、「よしき」から「光」への恋愛感情や、少年少女の微笑ましい恋愛も描かれています。


作者さんが『恋愛や性の話から取り残された人たちにも寄り添う話であるべき』と記述していることから、もしかしたら「恋愛に興味がない人」もはっきりと「そう」とは描かれていないだけで作中に登場しているのかもしれませんね。

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